学校は偏見だらけ
私は自分の性について、まだ誰にも話すことができていません。
親にも、友人にも、同僚にも。
親は言いにくいですよね。だって20年以上私を女だと思って育ててきた訳ですし。何度も『もっと女性らしく 』と言われてきましたし。
ジェンダーに対して偏見がある人、という訳ではないのですが、自分の子がそうだとは微塵も思っていません。
友人は正直人間関係が難しく(後ほど詳しく書きますが)少ないので、おそらくボーイッシュ、と言うぐらいの認識だと思います。
同僚は?と思われるでしょう。学校ですから理解があるのでは、と思う方もいるかもしれません。
しかし、学校は偏見だらけです。
生徒は男子、女子と区切られますし、それは教師も同じです。
他の職場を知らないので分かりませんが、教師は必ず同性同士で集まるのです。学生の延長のように。
自分の性に違和感があるためか、私は昔から同性(女性)とのコミュニケーションを苦手としていました。女性同士のノリや会話に上手く入れず、腹の探り合いのような空気も苦手です。
しかし周りは私を女性と思っているので自分と同じコミュニケーションをできると思われているのです。
それがしんどいから、私は誰とも仲良くならず、基本的に1人で自由気ままに過ごしています。
私と同じ思いの人は、職員室にいるのでしょうか。
私と同じ思いの生徒も、もしかしたらこの教室にいるのでしょうか。
私は今勤務している学校でカミングアウトすることはありません。
ジェンダーに関する人権教育研修の感想に、古い考えを否定するな、と書く人がいるような学校ですからね。
自分の『性』ってなんだろう?
今回は私が自分の『性』に違和感を持った時のことについて書きたいと思います。
前回投稿からかなり時間が空いてしまいました。年末年始の忙しさもありましたが、何より『どうやって言葉にしようか 』ととても悩んだからです。迷いながら書いたため、文章も拙く、まとまりがなく読みにくくなってしまったかもしれません。それでも、少しでも興味を持って見ていただければ幸いです。
私がはっきりと自分の性に違和感を覚えたのは、大学生の時でした。
ジェンダーにはいろいろな種類があって、それでいいんだという認識を広めようという時流の頃でしたし、「ジェンダーレス」という言葉が出てきた頃だったように思います。
もちろん教育大ですから、ジェンダーに関する授業もありました。
その授業の中で「あなたの心の性はどれですか」という質問がありました。男と女と書いている間に5つほど点があり、どこに印を入れてもいいというものでした。
しかし、その質問に何度自分の性を考えても、答えは出ませんでした。どっち、とかどっち寄り、とかいろいろ考えても、どれでもない気がしました。その時は迷った結果、真ん中より少し女性よりのところに〇をつけた気がします。
『自分の心の性が男だ、女だ、となぜ言えるのか』
『自分の性がこれだ、と言える理由は何なんだろうか』
こんな疑問が自分の中でずっと渦巻くようになりました。
それから数年が経って教員になり、研修でまたこう言った話を聞くようになり、ずっと抱えていた違和感の答えを知りたいと強く思うようになりました。
貰った資料やインターネットで色々調べ、辿り着いたのが「ノンバイナリー」でした。
男、女といった性別の枠に入らない。調べたものの中で、1番自分の中にストンと落ちてきたのがこれでした。
私は自分がノンバイナリーだと思っていますが、診断を受けたりしているわけではありません。ただ名前がついて、自分はこういう人間なんだと思えれば、自分が楽になったから言っているだけです。
長くなっていますので、ここまでにしたいと思います。
見に来ていただき、ありがとうございます。
ノンバイナリーって知ってますか?
初めまして。
TsubasAと申します。
20代、職業は教師です。
でもこのブログのメインは学校のことではなく私自身の『 性』についてです。
私は『ノンバイナリー 』いわゆる性的マイノリティのひとつです(診断とかではなく、自分でこうだな、と思っているだけですが)。
性自認、性表現において性別がない、という感じ。
でも、身体の性が女性であることがイヤという訳でもないし、トイレも女性の方で全然大丈夫です。
ただ気持ちの部分で女性だって言われるとしっくり来ないし、女性らしいファッションや言動、行動もしたくない。かと言って男になりたいわけではありません。
例えるなら、女性と男性2つ枠がくっついて並んでいて、あなたはどっちですかと聞かれる。どちらかの枠に入ってもいいし、2つの枠の間に立ってもいい。でも私はどちらの枠にも入りたくないんです。
女性らしさを要求されるのがイヤ。
私はそんなんじゃないし、そうなりたくもないんです。
今日はここら辺で。
近いうちに、私がいつ自分がマイノリティだと気づいたのか、という話をしたいと思います。